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「でめきん」発売に向けて応援して頂いてる方々から寄せられたコメントです。
■ 関島岳郎氏(栗コーダーカルテット・ふいご 他)
初めて来た町を歩く。霧のかかった坂を下ると煤けた路地がある。
家々の軒先から漂う夕餉の匂い、聞こえてくる物音や声、
玄関脇のひび割れた金魚鉢。懐かしさに似た心地好さを感じた。
栗コーダーカルテット
ふいご
http://homepage.mac.com/fuigo_koike/fuigo.html
■高橋ピエール氏(ピエールレコード)
「母に焦がれて娼婦を抱くような、そんな男の子のかわいらしさといじらしさ。
泉鏡花の描く街と人、はたまた、リスボンの夕暮れの港の路地か、
自分の中に他人を彫り上げる人形の瞳?
さまよう心が音程を傾けずにはいられない、失い続ける人々の空想の種。
一粒心に植えてはミマセヌカ・・・」
ピエールレコード
■神谷一義氏(オフノート)
どこからともなく一陣の風が吹き来たり、さっと海の表面を撫でながら吹き去る。た
だ、それだけ…。本作冒頭に収録された「灯台守」を初めて聴いたときの印象だ。彼
等の紡ぐ呂律は、風が野面を鳴り渡り、雨が土塊を叩くような「気配」と「響き」に
満ち充ちている。作品の一つひとつを貫く鋭敏な触感と繊細な息遣い。歌声は耳元に
ふっと息を吹きかけられたときのように心地良さとくすぐったさが同居した奇妙な空
気感をリアルにつたえてくる。そう、生きものが呼吸を繰り返すように、朝吹く風が
いつも新しいように、cookin´の音楽はけして古びることはないだろう。
オフノートブログ
■経堂:ロバロバカフェ/いのまたせいこ氏
今度のcookin'は
しっとりしていて、甘い感じがした。
さびしげだけど、それが心地いい。
ロバロバカフェ
http://www15.ocn.ne.jp/~robaroba/
■西荻窪:gallery FALL/三品輝起氏
故郷なき望郷の歌は
明るかったり暗かったりする。
心に帰る場所などないと知る声は
おしなべてみな慎ましい。
FALL
■ 山田民族氏 (F.L.Y)
景気の低迷や派遣切りなどの雇用問題など暗い話題ばかりで、ますます景気は悪くなるだろう。
私はふと敗戦の翌年1946年(昭和21年)のとても暑い夏を思い出した。
焼け野原にバラックが建ち、露天が並び強烈な人いきれのなかで、
真夏の青い空の続く太平洋の向こうの知らないアメリカを想った。
cookinはそんな終戦直後のどさくさの中の、あっけらかんとした貧しさのような音楽だ。
10アンペアの下のカツオブシのような音楽だ。
バブル好景気期に大量生産された音楽とは正反対だ。
繰り返すが、ますますこの国は景気が悪くなり、いままでの常識が通用しなくなるだろう。
いつも時代が貧窮すれば良質の音楽が生まれるのです。…わくわくしております。
F.L.Y
http://blog.livedoor.jp/flysalvia/
■西岡智氏(西岡兄妹)/青林工藝舎 他(漫画家/ライター/イラストレーター)
ぼくは、音楽をやっている人たちを羨ましく思う。
音楽は全ての芸術ジャンルの中で最も自由だ。
それはたぶん、純粋芸術にいちばん近い位置にいるからだろう。
今の時代においてもなお、音楽は「楽しく」あって構わないし、
「希望」すら(それが嘘八百でない限り)語ることが許されている。
その音楽がもつ「自由」を彼らは「利用」し、見事に「遊んで」みせる。
大人の玩具箱のような作品である。
これは夜更けに聴くのが良い。
妻や子や、皆が眠ってしまったあとで、大人の男が、一人聴くのが良い。
ことさら「主張」することはせず、ただ「存在」する。それもかなり確信犯的に。
そのしなやかさが、ぼくには好ましく、羨ましい。大人だね。
西岡兄妹
高円寺 円盤 / 田口史人氏
cookin'の音楽を聴いて多くの人は「懐かしさ」を感じるのではないでしょうか。
その懐かしさはいったいどこから来るのかというと、
恐らくそれはスピード感と演奏者との音楽との距離。
めでぃあがCDになってから特に音楽は生活を離れ、
代わりにCDが生活の中に要るのだか要らないのだか分からない、
奇妙な位置で生活に食い込んできました。
さて、生活の中に在った音楽はいったい何処へ?
かつて、音楽も音楽家も生活の中に存在していましたが、
果たして今、特に都市の中で「音楽」は「音楽家」は存在して居るのでしょうか?
cookin'の音楽の特異さは都市の中にあって、
生活者としてのスタンスをしっかり持ちながら、
音楽を奏でその上、全員が音楽家である所だと思います。
『そんなのフツーじゃん』と、おっしゃる方はたくさん居るでしょう。
はっきり言いますが貴方達はもう既に頭を毒されています。
「音楽が生活にあるという意味」はこの都市の中で、
本当に希少な事だという事をここで訴えたい!
例えば、細野晴臣がソロで発表した初期の作品などは、
大抵は音楽的な批評に終止しますが、
彼らが米軍のハウスを拠点に『生活』をしていた事が、
大きな背景にある事を忘れてはいけません。
70年代のフォーク/ロックは「食えなかった故に」ではなく、
時代として生活と音楽が密接であって、
音楽家が町で生活をしていたのです。
音楽の力の源泉はここにあると僕は思ってます。
世の中で彼らcookin'は、たぶん「フツー」だと思われてしまうだろうから、
このCDはあまり売れないかもしれない。
けれども僕は彼らの音楽が特別であるということを、
とてつもなく回りくどいやり方で、
着実に証明して行きたいと考えています。
日々の暮らしの中で虚しさ感じたら、
取り合えず試しにこのCDを買ってみて貰いたい、
小さな光が見えると思うので、
その光に目を凝らして見てみよう。
円盤
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